株式会社 SOFTEST

代表 起業独立に至るストーリー

大企業勤務から起業独立まで

1970(昭和45)年4月1日生まれ。東京都国立市出身。現在は神奈川県川崎市在住。

IT業界に身を置くきっかけは、中学生のときにハマった SHARP 製のポケットコンピューター。
プログラム電卓とも呼ばれ、BASIC 言語でプログラムを組むことができるものだった。
いろんなミニゲームを作ったり、
物理実験の計算式を前日にプログラムし実験が終わると同時に計算も終わっていたり、
文化祭で喫茶店を出店した際にはポケットコンピューターでレジを実現したり。
ソフトウェアの面白さと奥深さを知る原体験になった。

導かれるように、大学では情報系の学科に進み、
卒業後は第一志望であった株式会社日立製作所に入社。

SE(システムエンジニア)になり、忙しく充実した年月を送っていたが、
あるとき大病を経験し、過労とストレスが溜まっていた自分自身にようやく気付く。

その後しばらく仕事のペースを落とし、体力をセーブしながら控えめに過ごすことに。
このまま会社員として平凡に社会人生活を終えるんだろうなと思っていた頃、
FP(ファンクションポイント)に関する国際資格である
CFPS Fellow を国内・アジアで初取得。

FP を広めるのが自分の使命だ、という強い想いが湧き上がり、
起業独立することを決意した。

FP にかける想い

C/S(クライアント/サーバー)システムが企業情報システムを席巻し始めた1990年代半ば、
ソフトウェア開発の生産性の測り方や見積もり方に悩んでいた。
そんな中で出会った FP という技術は、
C/Sシステムの課題にとどまらず、FP にはもっと大きな力があることがわかってきた。

発注側と受注側の知識格差、完全オーダーメイド、長期間、高額予算、完成図が見えにくい、後払い、…
IT特有の性質により、ITシステムやソフトウェアの開発プロジェクトには常にトラブルの可能性が付きまとう。

「思ってたのと違う」「いや仕様書通りです」
「機能追加してくれ」「それなら料金が上がります」

プロジェクトの途中で信頼関係が壊れ、
発注側、受注側ともに望んだ結果が得られず、
プロジェクトに関わったメンバーは疲弊し、会社には損害を与える。
そんな現場を何度も目撃し、葛藤を抱いてきた。

あるとき、見積で信頼関係が揺らぎ始めたプロジェクトがあった。
発注側と受注側で3倍もの金額の開きが出ていた。
そこで FP を基に会話を重ねた結果、お互いの誤解が解け、プロジェクトが正常化した。

別のプロジェクトでは、基本設計で規模が膨らんでも、発注側が追加見積に難色を示した。
そこで、規模が膨らんだ理由を FP で説明したところ、追加見積が認められた。
今までずっと苦労してきたのでとても助かったと、プロジェクトの SE が喜んでくれた。

そんな体験が何度となくあった。
SE になってからずっと抱いていた葛藤に、FP は1つの解決策になる。
そんな確信が芽生えた。

ソフトウェアの大きさを客観的に測る指標が、発注側と受注側の共通言語になれば、
見積の段階で内容を充分に理解し、お互いに納得して合意ができる。

また、見積について理解し合うプロセスを経ることで、
その後プロジェクト進行中に不測の事態が起きても、お互いに話し合って解決できる、
発注者~受注者間の信頼関係が醸成される。

結果として、1件1件のプロジェクトの質が高まることになる。

以上のような考えから、現在は、
見積やプロジェクトマネジメントに悩む企業に向けた
客観的・中立的な立場で技術面のアシストを行うコンサルティングや、
FP を導入したい企業に向けた
人材育成や技術指導を中心とした導入支援、技術セミナー等を行っている。

このストーリーは、山崎梨紗 様(ヤマサキ司法書士事務所)のコンサルティングにて作成していただいた文案を基にしています。